Sapporo sustainable life

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謹賀新年2019

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

Spotifyでサンタナを聴きながら書いております。

今年の正月は家内の実家のある富良野でスキー&温泉でのんびり

過ごしていました。

スキーのリフトで隣に座った外国人のおじさんに話しかけたところ

オーストラリアから来たそうで、ニセコより安いので富良野が好きという

お返事。泊まるところは十分あるの?と問うと「十分ある」ということ。

ついでどこに泊まっているの?と聞いたところ

「プリンスホテル、あそこのバーはいいよ」

「いいバーだよね。ところで日本のウイスキーは好きかい?」

「まだ飲んだことがないんだ、おすすめのブランドは何?」

「ニッカだよ。」

最後は日本語でありがとうと言ってリフトを降りていった。

プリンスホテルに泊まっているのだから、やはりある程度の収入があるって

ことだな。そうなるとニセコってのはかなり高い相場になっているのだろうか。

富良野でもスキー客の半分くらいがインバウンドだった。その数は年々増えている。

 

さて、昨年もいろんなところに行きました。

一番良かったのが道後温泉。

わたしは同じ四国出身だけど愛媛は初めてで道後温泉も初。

道後温泉のよいところは地元民と一体化しているところ。もちろん観光客も

多数いるのだけど、普通の銭湯感覚でジモピーが入りにくる。

東の方の湯につかっていると、地元のじいさんが入ってきて、見ていると

ゆらゆらと畳いわしのような胸板を漂わしながら湯船の中を移動。

湯口の真下に畳いわしがたどりつくと、畳いわしが浮上してきて、湯口から

落ちる湯を受け止めている。

呆然と眺めているわたしには一切目もくれず恍惚の表情。

後から知ったのだが、湯に直にふれると体に良いのだとか。

知らなかった。爺さん、長生きしてくれ。

 

さて、今年で平成が終わる。

平成とはどういう時代だったのか?

一言でいえば「一億総中流層が跡形もなく消え去った時代」であろう。

小泉首相と竹中平蔵が規制緩和の名のもとに労働市場をぶち壊した

結果分厚い中流層が削りとられ、あっという間に二極化してしまった。

いわゆる新自由主義というやつだ。結果、昭和時代を知る者からしたら

耳を疑うような「貧困層」が出現した。なんということだ。

たかだか10年の間に総中流層から貧困層だって。

この小泉ー竹中ラインは、日本経済を実験台にして大失敗をやらかした

うえに、その失敗の原因を自分ではなく、環境の変化に対応できなかった

プレイヤーのせいにして平然としている。

 

新自由主義は小さな政府で市場をできるだけ自由化(規制緩和)することで

競争力を増やそうという考えだが、結果、強いものだけ強くなって中流層は

弱者に転落してしまった。そのうえ、弱者に転落したのは自分のせいだと

言われ(いわゆる自己責任論)てしまう。ここは声を大にして言おう。

弱者に転落したのは、自分のせいではなく、間違いなく政策を推し進めてきた

政権の責任であると。日本の強みは分厚い中流層にあったのに、それを木っ端

微塵にしてしまった罪は大きい。

 

ところで、新自由主義の波に飲み込まれたものは会社だけではない。

国立大学もしかりである。朝日新聞に国大協の山極会長と財務省の主計次長

の論争が記事になっていたが、驚いた。

いかにも頭が切れそうな主計次官が言うには「教育界だけが特別ではない。

国の財政を立て直すためには大学もそれ相応の努力を払うべきだ」と。

その努力の中身は何かというと、ようするに、いままで制約なくつかえたお金を

競争的資金といって、競争に勝った人に多く配分しましょうというお金に変える

ということです。

それに対して山極会長は、「大学運営に最低限必要な固定費を競争資金に移すことは

過度な競争至上主義を招く。結果として研究者は短期的に成果が上がる研究に注力

せざるを得ず、長期的な視野での基礎研究ができなくなる。」というような趣旨の

反論をしている。

私は全面的に山極さんを支持します。

 

国の根幹は人でありすなわち教育です。それをないがしろにすることは国が亡ぶ

ことを意味する。大学という場は教育と研究の場。教育と研究は密接に結びついている。

大学の先生がやっている研究は学生にとっては憧れであり、尊敬の対象でもある。

一生を賭け研究に打ち込む姿に打たれるのである。それは真理の探究という学問の

普遍的な価値を求めるからであり、決して、研究費の獲得や己のポスト欲しさでは

ないのである。それを学生は鋭く見抜いているからこそ尊敬するのである。

研究費や己のポストの確保に汲々とする恩師を見てだれが尊敬などするものか。

 

二人の論争を見ていて思うことは、ルールを決める側の配慮のなさである。

財務省の役人はルールを決める権限をもっている。しかし、現場のことは知らない。

現場をしらない役人が結果責任を負うことはできない。一方、山極会長は現場の

ことを熟知している。そのため結果責任を負う覚悟がある。

したがって、この二人の論争はどこまで行っても平行線である。

 

本来、その仲裁をするのが政治の役割であるはずなのだが、今の政治状況は

まったくその逆であると言わざるを得ない。政治が官僚をたきつけて「もっと

やれ」と言っているのである。

 

こうしてみると、平成と言う時代は「トップダウン」の時代であるといえまいか。

面倒な合意形成は抜きにして自分の思うところを強引に推し進める。

現政権などはまともに質問にこたえようともしない。改ざんもなんでもあり。

しかし、一番重要なことは、面倒な合意形成を根気強く続けていくことである。

そのような面倒な合意形成の場とは、ものごとがすぐには決まらない、あるいは

物事が妥協の産物となって変質してくる場である。でも、それが現実という場で

あり、ある意味健全な社会であると思う。

 

だいたい、自分の人生も思ったとおりに行かないのに社会全体が思い通りに

なるなんて思うほうがどうかしている。

 

経営もしかり。トップの経営理念のもと、社員が試行錯誤しながらくねくねと

でも前進していく。経営を支えているのは社員一人一人。いろんなことがあっても

粘り強くあきらめずにやっていれば仕事の楽しさに出会う。仕事の成果は顧客の

「ありがとう」という言葉に集約される。

 

さて、今年は延び延びになっていた管理会計の本が出版されます。

おそらく春ごろには。一つの成果物として世に問いたいと思います。

とはいえ、超地味な内容ですので200冊くらい売れればいいかなと。

とりあえずは謙虚に語っておきたいと思います。

 

では、本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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