Sapporo sustainable life

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GW2017

最近、我が家に毎日アカゲラがやってくる。

 

もちろん、やってくるといっても玄関から「こんにちは」と

言って入ってくるわけではない。アカゲラがやってきたという

ことを人間が認識する方法は、よく考えると、かなりレアケース

である。

 

彼は、屋外のテレビアンテナにとまり、アンテナについている

茶色い長方形の薄いプラスチック部品をつつくのである。

アカゲラのつつくくらい、どうってことないじゃん、と思う向きも

あろう。しかし、その衝撃音は大したもので、二階で寝ている私は

確実にその打撃音でたたき起こされる。しかも早朝に。。。

 

その懸命に突く姿を寝ぼけまなこで見たときは驚いた。

大体、なんであんな小さいボックスを突くのか?

木と間違えるにしたっていくらなんでもわかるんじゃないの。

それ以来彼は毎日やってくる。手を打って脅かしてもどこ吹く風で

それどころか、飛び立つときに「ひゃひゃひゃひゃひゃ〜」と言って

まるで嘲笑うようだ。まったく、腹立つ・・・

 

ここで、人間としての僕は理性を使って対策を講じた。

そのボックスの表面にゴムを張り付けたのだ。

本能で突く鳥を制御することは不可能。ならば、その本能はそのまま

にして、敵の発する音のみを消去せんと試みたわけだ。

するとどうだろう。彼は二度とその部品に寄り付かなくなった。

おそらくそのゴムは、ヘッドバンギングするアカゲラの本能自体に

ある種の不均衡をもたらしたのではないかと推察する。

ヘッドバンギングは打ち付けるものがある程度の硬度がないと成り立たない。

そのようにアカゲラの首の筋肉は発達しており、対象物が柔らかい場合

ヘッドバンギングのリズムが保てない。そこで彼はようやく「これは

木じゃないぞ!」と気が付いたというわけだ。

どうだ、参ったか。

 

てなことを書いてると、「早起きすればいいんじゃないの?」とかみさんに

言われたことを思い出した。「せっかく起こしにきてくれてんだからさ」

ごもっとも。

 

ところで、この春より我が家はかみさんと二人暮らしとなった。

上の息子に続いて下の息子も道外に進学したからである。

一人息子が家から出ただけで、びっくりするくらい食器を洗う手間が少なく

なった。飯をつくる機会も同様に激減した。もはや50代の二人では

食事の量も減り、炊飯器も閑古鳥(またトリか。。。)

 

下の息子は人間を研究するために広島の総合科学部に進んだ。

ベルクソンは人間(生物)を「エラン・ヴィタル」という言葉で表象した。

生命のはずみ。人間は生きているものを正確には認識できないという。

言語に変換したり、空間に置き換えたりすることなくして認識できないと。

いわば生命は知性をはみ出る。生命はその意味で純粋持続でありその根源が

”はずみ”なのだと。

 

人間を科学する場合、ベルクソン的壁にぶち当たるだろう。

科学的アプローチでは解明できない領域が確実に存在すると僕は思う。

その意味でベルクソンは大のお気に入りなのだけど、つまり、その領域

には哲学が活躍できる、いや、哲学しか扱うことのできない問題が転がって

いる。科学では解明できないというとすぐに悟りに行っちゃう人がいるけど

それは全否定。悟りは単なる無であり、九鬼の言うように知的に時間を

超越しただけである、という論に激しく同意する。

 

脱線した。

息子といつの日かベルクソンをめぐって議論できる日がくることを楽しみに

している。

 

息子が広島に行ったことでなぜかカープを応援しているこの頃。

なんだかなあ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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