Sapporo sustainable life

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多様性に関することなど
先日、NHKでドキュメント72時間を見た。
この番組前から好きでよく見ているのだが、この前それに
恵迪寮が出たのである。

懐かしいという一般的な感情はさておいて今を生きている
彼ら(彼女ら)を見て「いいな」と思いました。それにしても
彼女らがいるということが、信じられない。昭和58年入寮の
彼らの親父の世代である僕はいつも混乱してしまう。

「いいな」と思ったことなど。
それは、誤解を恐れず言えば、寮の共同体から一線を画して
静かに暮らしている寮生がいたことにある。そしてそのような
寮生を排除せず、皆が語れる場を提供するべく奮闘しようと
立候補した寮長候補がいるということである。

自治ということはおそらくこのような現場を言うのではないか
と改めて思うわけです。100年続く伝統にどっぷりつかって新たな
歴史を紡ぐこともよし、一方で、経済的な理由から一人暮らしを
謳歌できずやもなく寮に入った学生たちは、バイトにあけくれ夜に
一人自室に帰って一息つく。どちらもありです。

先日の日経新聞にプラグマティズムの特集がありました。
価値観の違うものが語りあうというもの。あたりまえのようなこと
ですが、これが今やどこでも結構難しいと感じています。
語り合うということは、意志があるということで、そこにはお互いの
共通理解を得たいという意志がまず前提になければならない。

共通理解を得たいということの意味は、それがかえって、自分たちの
領分を守るということにある。反駁しあうグループが存在すればそれは
とりもなおさず自分たちの敵であり、面倒な相手になる。そうではなく
お互いの共通理解があれば、共存する空間が生まれてくる。

もう一つ。それは、自らの可能性を否定することにつながるということ。
人間存在としての自分というものを、ひとつの概念に縛り付けることで、自らが
変わりうるという可能性を否定してしまうということ。

どちらにせよ、語り合うという場を放棄することは、自分で自分の生きる
スペースを狭めてしまうことになる。そういうことの危うさを認識し、それを
回避することは極めて重要ではないかと最近よく思う。

個人の領分だけでなく、組織や集団、国家に至るまで、多様な価値観を認め
お互いの共通理解を求める意志は捨ててはならないだろう。
そんなことをしてたってどこにも出口はないのだから。
村上春樹風に言えば「どこにも行けやしない」のだ。

少数意見や反対意見、これらに耳を傾けること。多様性を認めることは
人類というものが生き抜いていくための基本動作であるように思います。


 
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