Sapporo sustainable life

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終戦の日に思うこと
何気なくテレビを見ていたらNHKの特集であった。
討論形式の番組。鳥越さんがひとりまっとうなことを言っていて
応援しつつ見る。それにしても経済系のおじさんと学者なのか
お坊ちゃんが一人いたが、まあ、ひどかった。

終戦の特番なので当然話題は戦争のこと、そう集団的自衛権の
ことである。このことに関してはブログにも以前書いた。
一緒に見ていた高2の息子もなんだか真剣に見ていた。

わたしは以前から新聞の切り抜きをしていて、改めて読み返して
みた。自民党なのだけど政治家としては立派だと思う後藤田正晴
さんの記事と憲法学者の樋口陽一さんの記事が目に留まった。

後藤田氏いわく「(日本国憲法は)1928年の不戦条約から
国連憲章にいたる流れを受けた人類の理想を述べたもので誰も
反対できない」
樋口氏いわく「日本国憲法を押しつけだと非難する人たちがいますが
それは違う。この憲法の価値観は、幕末以来の日本の近代と無縁では
ありません。〜中略〜むしろ35〜45年の国粋主義、全体主義の
時期こそ、幕末からの流れと異なるものだった。ポツダム宣言は軍国
主義に染まる前の日本の民主主義を「復活強化」せよと言い、日本政府
はそれに調印したわけです。
〜中略〜今から120年も前、大日本帝国憲法の制定に
かかわる政府の会議で、伊藤博文がこう語っています。『そもそも
憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全
することにある』(伊藤は)憲法によって国家権力を縛るという
立憲主義の考え方を理解していたことがわかります。」

まず、日本国憲法のスタンスを確認したかったわけですが、押しつけでも
なんでもなく世界史的に見ても国内史的に見ても、もともとあった理想的
な考え方であったということ。

さらに後藤田氏いわく「日本の領域の外での武力行使はやるべきではない。
専守防衛に限るべきだ。」その考えは戦争体験から?「いやそれだけではない
〜中略〜第二次大戦で核兵器が使われ、戦闘員も非戦闘員もすべてを巻き込む
ようになった。兵器の発達した国同士の戦争にはもはや勝者も敗者もなく、
破滅があるだけだ。国際間の紛争はいかなる努力、いかなる我慢をしても話し合い
で解決すべきだ。その枠組みづくりにこそ力を入れるべきだ。」

これらの言葉を噛みしめたい。

まっとうな政治家や学者が少なくなっていく。
後藤田さんが生きていたら安倍さんも一喝されただろうに・・・

戦争の恐ろしさはそれ自体ももちろんであるが、それに至るプロセスが誰にも
コントロールできない点にあると思う。気が付いたら戦争、そして国家という
抽象的な概念によって命令されるという無機質さにある。誰も責任をとらない。

そういうものに巻き込まれてたまるか、という思いを強くしている終戦の日でした。




 
ふたたび政治のはなし
集団的自衛権の話である。
ここでわたしが吠えても何にも変わらないのは百も承知だが
書かずにいられない。
わたしはいまここに生きていてこの事態を見ている。
その存在証明としても書いておくべきであるということです。

集団的自衛権は行使できない、というのが私の見解。
集団的自衛権は個別的自衛権と決定的に違っていて、戦争への
道を開く可能性が際限なく広がる。(可能性で十分である。)
行使するのなら憲法改正でやるべきである、ということです。

昨今のこの問題に関する議論は法律論やら細かい議論に終始している。
が、問題はそういうことじゃない、と思う。
これは、人間というものをどうとらえるか、という哲学的な問題である
というのが私の考え。人間はほっておくと戦争する動物だということ。
これは歴史が証明している。

過去の悲惨な体験から二度と戦争を起こさない、と誓った。
それを担保するもっとも効果的な措置が憲法である。
今の日本国憲法なら、両議員の其々3分の2以上が賛成して、なおかつ国民の
過半数が賛成しないと改正できないことになっている。これはまっとうな
措置だと考える。

また、これは時の政府が誤った方向に行く可能性を見越している。
時の政府が時の情勢に影響されてまかり間違って戦争への可能性の扉を
開こうとするかもしれない。その際に、強固な歯止めとなるものが憲法。
そして、まさに、その間違った方向に走っているのが今の政権。
「あー、憲法があって良かったね」と良識のある日本国民はほっと胸を
なでおろす場面です。
ところがなんと解釈変更という姑息な手段を使って通り抜けようとして
いるではありませんか。もう、あきれてものが言えません。
(ジョー・ドロッパーというそうですね。by 朝日新聞)

さらに、この頭の悪い首相はこう言い放った。
「日本が戦争の道を突き進むなんて絶対にありません!」
そうですか。そりゃようござんしたね。しかし、あなたはいったいいつまで
総理をおやりになるんですかい?絶対っていうからには未来永劫責任をもって
もらわないといけませんぜ。その覚悟はおありか?

あるわけない、です。どう考えたってあと5年以内に彼は退陣するだろうし
50年後にはおそらくこの世に存在しない。

総理という立場においては、おそらく「自分という人間は信用に値しない」
と考える人物がもっとも適当である。人間というものは万能であるという
自信家より人間ていうのは愚かでどうしようもないということを理解している
タイプのほうが、国民を災禍に巻き込まないだろう。

歴史に対して傲慢になってはいけないと思う。
そして、人類への希望というものは、愚かさを常に引きずりながら前進して
いくプロセスにあると思う。



 
ちょいと政治ネタ
 東京オリンピックで総理大臣に話が触れたことで
少し書いておきます。

かの総理大臣、集団的自衛権を行使することを容認するという
考えの持ち主でした。

集団的自衛権は国際法上も認められた権利です。
しかし、だからといってそれを保持しなければならないスジの
ものではありません。

この権利はもともと大陸の自衛という文脈で出てきたものと
理解しています。多数の小国を擁する大陸において、自国を
衛るためにもっとも効果的なことは「つるむ」ことです。
たとえればイワシが群れをつくって敵に対するようなものか。

他方、島国の日本はそのような理屈は成立しようがない。
なぜならつるむ相手が近くにいないから。

となれば、この集団的自衛権なるものは一気に抽象的な概念に
なってしまう。なんだかよくわからない得たいの知れないもの、です。
それが世間一般の人たちが「??」となる原因ではないかと思います。

日本を衛るのであれば個別的自衛権で十分。
個別的自衛権は憲法以前の問題で主権国家として持っているもの。
あたりまえの権利です。

このような考え方に対してかの総理は納得のいくプレゼンをしたことは
ないと思います。日本語でさえも。
吹雪の日に思う
 今朝の朝日新聞に興味深い記事があった。
エマニュエル・トッド氏の「空回りする民主主義」という記事。
たまにこういう鋭い記事を載せてくれるところがこの新聞の良いところか・・・

さて、氏の意見である。
彼曰く、今の世界経済を覆う閉そく感は二つの要因からなると言う。
表層的なものが一つ、そして深層的なものが一つ。
表層的なものは「自由貿易こそが問題の解決策だ」と考えるイデオロギーであるという。
自由貿易のもとでは安価な労働力を求めて先進国の雇用は空洞化する。
リーマンショック後の景気刺激策では、確かに先進国の企業の利潤は増えた。ところが
雇用と賃金は増えなかった。つまり、景気刺激の恩恵に浴したのは中国やインドのような
新興国だけであったというのである。

そして深層的なものは「ハイパー個人主義」であるという。
共同体である社会が個に分断されていく、つまり、社会や共同体を否定するような精神の
台頭があるというのである。そして、それは民主主義を生み出した英米などにより顕著に
表れていると指摘する。本来、共同体を作りだすための装置である民主主義が今度は
逆説的に社会を分断する力学を持つに至った。その原因を「教育格差」に求めている。
より高度な教育を受けた者がそうでない人々との間に溝を作っているということか・・・

では、それを克服する道はあるのか?
氏は答える。表層的な問題、つまり経済システムの問題はEUのようなブロック経済システム
を取ることで解決するという。つまり域外にたいしては保護政策をとり域内での景気刺激策を
とることで経済的な解決を図るというこである。日本はアジアという共通項の多い共同体で
経済的な連携をとれると指摘する。
深層的な問題に対しては明確な答えは見つかっていない。それはこれから人類の歴史の
中で生み出されるだろうということである。

とても明快な分析で朝から目が覚めた。
私なりに解釈したことは次のようなことである。
・自国の経済を良くするために他国を利用するという視点を捨てる。
・そうではなく、他国の足りない部分を補うこと、あるいは成長を促すことがないかという
 視点を持つ。その結果、他国も自国も潤う。

日本でいえば、日本の技術で環境汚染を止めるとか水不足を解消するとかあるいは
すぐれた生産技術(農業も含め)を輸出して他国の問題を解決するというスタンスをとる
ということである。アジアにおける日本はあらゆる分野でトップレベルの技術やサービスを
持っている。これをあまねく他国のために使うというスタンスをとればアジア諸国から慕われる
であろう。少なくとも軽蔑されることはないはずだ。

日本国内においてもあてはまる。北海道と東京の関係を見てみる。
東京で稼いだ富が北海道に還流して北海道経済は成り立っている。
東京にしてみれば北海道などなくても構わない存在かもしれない。(いや、一部では本当に
そのようなことを考えている人達がいるらしい・・・)
東京の人々はどうすべきか。それは、北海道が自立できるように支援することである。
たとえば、製造業の設立支援である。人と企業をほぼ独占的に持っている東京はその財産を
地方に移殖するべきである。たとえば北海道に自動車会社を作ったらどうか。電気自動車を
専門につくる「北海道電気自動車株式会社」をつくるのである。北海道に愛着を持つ道民は
間違いなくそこから電気自動車を購入するだろう。そうすれば、今まで東京に流れていたお金が
道内で蓄積され、道内で循環する。その結果、東京への一極集中が緩和されもう少しまともな
生活環境を手に入れることができるだろう。

夢想的に過ぎるだろうか?
でも、おそらく、すくなくとも精神的には他を利することで自分を利するという境地に立って経済
を運営しなければアジア諸国とうまくやっていくことはできないだろうと思う。
そしてそれは「持っている国(地域)」から働きかけないとうまくいかないのである。

なんとなく日本のゆく道が見えてきたような気がする・・・・
のは気のせいか??


予言的中?
少し前にこのブログに「日本の法人はやがて日本人を捨てることになる
だろう」と書いた。

それがものの見事に的中した。いや、半分は外れたというべきか。
なぜならこんなに早くこのような事態がくるとは思わなかったからだ。

法人が日本人を捨てて外国人を採用するというロジックは極めて合理的
である。それは、人を採用して育てて一人前にするという行為そのものが
人間力を強めるということであり、それが組織を強くするということだから
である。つまり、日本の法人は非正規雇用という使い捨てシステムを安易
に採用したことで、人を育てるという行為を放棄した。よって、日本人
が弱くなると同時に日本の会社も弱くなってしまった。それを補うために
取りうる方法は、外から人を連れてくるしかないのである。

しかし、である。外国人を採用しても遅かれ早かれ同じような道をたどる
ことになるのではないか、と思う。今、ガッツあふれ上昇志向の強い人
達もいずれその国が豊かになり成熟することで落ち着き?を取りもどす
ことになるだろう。そうなれば、次はどこに人を採用にいくのか?火星か?
また、上昇志向の激しい人ばかりが新人になるというのはこれはかなり
イタイ状況である。そこには、何にも知らない素人を育てていくという
奥の深い手の込んだ芸当を必要としない殺伐とした空間が広がっている
ことだろう。それこそが組織を弱らせることになるに違いない。

人を育てるというのは大変なことだけど、面白いことでもある。
そしてそれは企業という長い付き合いの中で腰を据えてやっていかなければ
なし得ないものである。そういう大切なものを自らすすんで捨ててしまう
とはなんとも愚かしい。

本来、日本の大企業がやるべきことは日本人を採用し続けることである。
そして、弱くなった(ある意味それは強みだと思うが)若者を受け入れ
仕事を通じて成長させることだと思う。そのように育てられた新人は
やがて自分の頭で物事を考え始め彼らなりの柔軟な組織を作り上げていく
だろう。そして彼らがまた次の世代の日本人を育てていけばいいのだ。

要するに、歴史というものはそのようなものだと思うのである。
今の状況は突然目の前に現れたわけではなく、過去のプロセスの結果だ。
だとすればそれを引き受けて次の世代に引き継ぐということが正しいやり
方だと思う。「最近の日本人はダメだから外から連れてこよう」って
発想は、歴史的に物事を眺めるという基本的かつ本質的なインテリジェンス
を欠いた判断であると思う。第一、今の経営層にそのような権利はない。

学校を出ても働けない、なんていう情けない社会をなんとかしなければ
大変なことになると思う。働くということはそれほど重要なことなの
だから。


「人間らしくやりたいな、人間なんだからな」
という大昔の名コピーをなぜか思い出すこの頃である。
転換期
年度末に一言。

日本経済は私の見るところバブル崩壊からほとんど成長していない。
外需と財政の下支え(つまり借金)で賄ってきたと言っていい。

おそらく、もうそろそろ限界点であろう。
何が?経済がか・・もちろんそうだが、もうひとつ。
それは人々の守りの姿勢が、である。

景気が悪いと人は守りに入る。景気の良いところに居る人は別にして
ほとんどの景気の悪いゾーンに居る人はそろそろ嫌気がさしているはずだ。
もちろん僕もその一人であるが。

これ以上、国内市場のパイが増えることはない。
今、起きていることは、大きなパイで食ってきた産業がダウンサイジング
しているだけの話である。当然、労働市場も縮小する。就職先がないのも
当然である。

今、日本の政府が躍起になってやるべきは次の雇用を生み出す産業を興す
ことである。しかし、断言するがそのようなことは政府主導ではできない。
産業を興すものは民間でしかありえない。無から有を生み出すことは
ほとばしる情熱がいる。そのような情熱はリスクがゼロの官からは生まれ
えない。

さて、話が戻ってきた。
一昔前なら、新しい産業を興すなんていう面倒くさいことは大部分の人が
避けてきた。当たり前の話だ。しかし、今、もうここまできたらそれしか
道がない。というかそれを認めざるを得ない。働く場所、つまり雇用を
自ら作り出す、そのために頭を使う。そういう一種強制的な前向きさで
道を切り開いていかなければしょうがない。

そういうマインドに人々がなってきているのではないか、というのが
僕の言いたいこと。おそらく、人間の本能として、このままいったらやばい
という危機を察知しているはずだ。

冷静に周りを見てみれば、雇用の萌芽はたくさんある。
特に北海道ならその余裕しろは第一次産業にある。単純な算術である。
食糧自給率が40%しかないなら、それを国内で生産すれば良いのである。
国内で生産したものを国内で消費すればそれだけ雇用が生まれる。
もちろん価格は輸入物より高いだろう、しかし、雇用確保の方が優先される
ことは言うまでもない。(というか、雇用がなければそもそも輸入品も買え
ないのだけど。)

国際的な市場ルールをどうするのか?なんて野暮なことは言わないで
いただきたい。そのようなときにこそ官が出てくればいいのです。
諸外国とうまく調整されたい。そのうち日本が元気になったらまた輸入
しますから、とかなんとか言って・・・

つまるところ、産業構造の転換が必要なのだ。
雇用を生む新しい産業。まあ、成長産業と言い換えてもいい。
それが出来上がるまで日本は今しばらくもがくことになるだろう。
10年くらいかかるかも・・・ね。
草野球のキャッチャー
幸せの黄色いハンカチという映画の中で高倉健さんが言ったセリフである。

「ミットもない言うこったい」草野球のキャッチャーと罵倒されたのは
軟弱な男であった。

このたびの、民主党の某幹事長について僕はこの言葉を投げつけたい。
自分の部下が逮捕されて、自分だけ生き残る。卑劣であると思う。
物事の善悪を決めるものは「価値観」である。
すくなくとも僕(ら)はそういう価値観で育ってきたように思う。

もう一度言う。みっともない、のである。
成功と失敗を分けるもの
今日、何気なくテレビをつけたらNHKで良い番組をやっていた。

興部町にある「ノースプレインファーム」のドキュメントであった。
ここは以前、顧客の社長さんのご紹介で行ったことがあります。

社長の大黒さんは「興部にはたくさんの酪農家があるのに、学校給食に
出る牛乳は他所で作られた美味しくない牛乳だった。これはおかしいん
じゃないか」と疑問を持ち、三年も道とかけあい、自社生産の牛乳を
作ったということである。自社生産と一言で言うが、これには何千万円も
投資が必要であり、やすやすとできるものではない。その、決断たるや
相当の勇気がいったに違いない。現実は厳しく最初の受注は30本弱だった
そうである。

しかし、その後の発展は周知のとおり。品質の良い牛乳を使った加工食品
の製造に乗り出し、販路も自分で首都圏などに築いて経営は安定的に拡大
しているようである。何を隠そう、生キャラメルの生みの親は大黒さん
なのである。

さて、生キャラメルである。これは近年ブームというべき拡大を見せた。
その中心は御存じ○畑牧場である。このブランド、今や、見る影もありま
せん。札幌駅にある直営店も今では人もまばら。最盛期には長蛇の列が
できていましたが・・・

こうなることは自明でした。誰もが予想していたことです。
こうなった原因はいろいろあります。開発力の弱さ、拡大のスピードが
早すぎ、プロモーションの拙さなどなど。
しかし、この見事なまでのしっぺ返しの根本原因は、その経営理念にあると
僕は思っている。あるいは、志と言ってもいい。

何を目指して経営しているのか?経営体を立ち上げることによって何を
なし得たいのか?そしてそれは世のため人のためになるのか?
青臭い議論をして恐縮ですが、企業にはこの種のハートが絶対に不可欠
なのです。これがなければ継続して存続することはできないのです。

○畑牧場の戦略は以下のようなものであるべきだった。
仝義弔任△襯痢璽好廛譽ぅ鵐侫 璽爐閥ζ韻靴得源哉稜笋垢
地元北海道の安心安全な製品を届けることによって、消費者も喜び
 地元も潤うという大きな視点でのプロモーションを行う
G笋譴襪らと言って作りすぎず売りすぎない
っ聾気慮柩僂魍諒櫃靴弔帖⊃靴燭弊宿覆粒発に注力する

特にが重要だった。ここで、致命的なミスを犯した。
ブームになった時点で危ないと思うべきだったのだ。
ブームで買う人は基本的にリピーターにはならない。みんなが美味しいと
言っているから、試しに買うのである。その後、自分が美味しいと思って
買うかどうか?。おそらくリピーターになるのは100分の1くらいか。
となれば、生産過剰(設備過剰)になるのは明らかである。

地道にコツコツやる。機会損失というのは、競合他社がひしめいていて
なおかつ需要が旺盛な時に考えればよいのであって、今の時代、あまり
考える必要はないように思える。それより、良いものを誠実に売っている
企業が結果的に生き残るのではないか。

もちろん、コツコツやっていくモチベーションは理念であり、もしくは
それを時間軸で分割したビジョンである。
ウンポコロコ
変なタイトルですいません。

これ、スペイン語で「ちょっと馬鹿」という意味。
同じタイトルのジャズの曲もありますね。

さて、この言葉の矛先はだれか?
それは某国の国防長官であります。
国と国の交渉の場にあれほどレベルの低い人物がいるということ
自体、「おいおい大丈夫かアメリカ」と思ってしまう。

あのような恫喝めいた言葉しか語れない人物が国防トップでは
戦争をいくらしても足りないのではないか。
最強の武器を持ち最低の脳みそを持つ、これでは世界の厄介者である。

かの地のトップは奇しくもノーベル平和賞とやらをもらったはず。
であれば、もう少しまともな言動を期待したい。

スキルの欠落?
最近、ニュースに登場する回数が多い某大臣。

この方、政治家の基本的スキルが欠如しているのではないかと思うのは
僕だけだろうか?政治家とはそのベーシックな部分で「利害の調整」という
基礎的なスキルが要求されることは言うまでもない。
しかるに、この方はトップダウンでいきなり大方針を言う。調整もくそも
ない風だ。これがひょっとして調整だったりして?

権力というのは恐ろしい。最終決定権を握っているということの恐ろしさ
というのは、実はこのような使い方をすることにある、と僕は思っている。
最終決定権があるからこそ、権力者は「下手」に出なければならない、と
思う。さもなければ、大きなダメージをその組織内に生み出すことになる。

そんな屁理屈を言わなくとも、どうにも、思慮深さがまったく見えない
というのはどうしたことか。論理的な正確さより、対人コミュニケーション
スキルやら人の痛みをわかることやら、そういった成熟された人格という
ものが政治家にはどうしても必要だなということが良く分かった次第で
ある。

もっと修行してくださいよ、ホントに。