Sapporo sustainable life

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神楽坂にて

先日、仕事関係で東京へ出張に行った。
某業界関係団体の研修であったが、なぜか土日開催。

わたしは基本的に都会は嫌いである。
えっ、札幌は都会じゃないのか?って。
札幌は別格なのですよ。

さて、嫌いではあるが、局地的に好きな場所はある。
下北沢しかり、神保町しかり、吉祥寺しかり。
小さくて文化的な香りのする場所はいい。

今回は元同僚のS君と8年ぶりの再会。
団体の懇親会をパスして近くの神楽坂で落ち合う。
海外駐在から帰ったばかりのS君と適当にネットで予約
した店に入るとこれがまたいい店であった。

自慢ではないが、わたくし、店を選ぶセンスはあるのである。
店構えとか、中の様子とか見ればなんとなくビビット来るものがある。
そういうところは大概OKである。
最悪なのは「騒々しい店」である。そういうところは入った瞬間から
憂鬱になる。一刻も早く外に出たいと思いつつ仕方なくいる。
だから、店は自分で選ぶようにしている。

一件目でたいそう満足した私は二件目のバーに行こうとした。
ところが手に持っている地図と少し違うのである。街が・・・
どういうわけかぐるぐる回り、あげくの果てには交番で道を聞き
そのあげくまた道に迷い、いい加減げんなりしてきたころにあった。
こういう時、S君でよかった。彼は基本的にいいやつである。
一緒になって「こっちじゃねえのか?」とか言って彷徨している。

そのバーも落ち着ける店であった。
どこか外国のお菓子を振舞われ、幸運のアーモンドを引き当てた。
店の他のお客さんも祝福してくれた。

坂道の迷路のような路地裏の地下のバー。
しゃべることは山ほどあったが、キリがないので終電まじかで
お開きに。

坂道を降りていって地下鉄の入り口までS君を見送る。
わたしがお土産で渡した六花亭の紙袋を持ったS君が地下鉄の
階段を下りていった。

また、いずれ、どこか気持ちの良い店で飲みたいものである。











アミーゴス イン 東京
前職のアミーゴ達と東京で会ってきました。

40歳で企業を退職すると、若いにもかかわらずOB会に出られるのだ。
ここに集まった面々は当時同じ部署で働いていた先輩後輩たちである。
大きな企業だったので、事業部(本社)−工場というラインで事業本部
がまたがっていたのだ。ちなみに僕は工場側。

写真の手前にいる御仁が事業部のヘッドであった人である。
私とは少々縁が深い。海外勤務では私がパナマでこの方はメキシコ。
ラテンコネクションである。その後も同じ事業部。私と彼が手を組めば
基本的になんでもできた。いや、なんでもやってしまった。
時に強引に業務を進める私に対する反発を彼は見事に吸収する。
懐が深いのである。ま、いわば私は彼の掌の上で転がされていただけかも
しれない。


手前○本部長、後列左からK君、僕、M君、O君、Y君

この人、肩書きは部長である。某C社でラインの部長といえばそれなりで
ある。しかし、この飲み会では「このオヤジはさあ・・・」と呼ばれて
いた。酷い時には「このオッサンはさあ・・・」である。

そのような扱いを受けさすがに少々気分を害したかたと思えば、自ら、
さらに自分を貶めるようなエピソードを語り始める。そんなことを言う
もんだから、周りの若い衆はますますつけあがり、某部長の威厳はこっぱ
微塵に粉砕されてしまった。(ま、もともとないんだけどね。)

まだ、続ける。
この部長、学生時代は野球部で筋骨隆々だったのだが、今回めっきり体が
小さくなってしまった。何があったのか?何にもないらしい。50歳の声を
聞く頃から急激に衰えだしたというのである。そんなことがあるものか、
と私はにわかに信じられなかった。あの数々の伝説を残したこの部長が
そんなに簡単に弱ってたまるものか。「立て、立つんだ部長!!」
私は心の中で叫ばずにはいられなかった。そしてまた伝説を作り続けて
いただきたい。

それにしてもと思う。
僕の年代で企業に残っていれば管理職クラスである。それに引き換え僕は
この業界では新人扱い。まだまだ可能性がある。一方、企業に残った場合
はそろそろ先が見えてくるころである。いわば、道がどんどん狭くなって
いくわけだ。独立して三年。なんとかやっていけそうな手ごたえを感じて
いるところ。やりたいことはたくさんある。夢もある。それをかなえる
時間もある。あとは、あきらめず、努力を重ねていくだけだ。

また、会おう、アミーゴス。


遠い国からの手紙
遠い国に住んでいる元同僚からメールが来た。

そのちょっと前には、同じく遠い国に住んでいる元後輩からメールを
もらった。

こういうのはホント嬉しいですね。

「元気か?」
「元気だよ」

短い内容ですがそれでよし。

東南アジア、欧州、日本それぞれの国で頑張っています。
まあ、頑張りすぎずほどほどにやりましょう。

ドバイからの手紙
ドバイからメールが届いた。

僕の前職時代の同僚は世界中に散らばっているのでこういうことも
ありうる。まさにワールドワイドである。

その彼(Y氏)は、ラテンアメリカ時代の盟友である。
よく遊び、よく飲んだ。ついでに仕事もした。
夜のパナマやマイアミをよく彷徨したもんだ。
もう、あんなこと二度とできない、と思う。

当時の僕らは30代でしかも部門の責任者だった。
地球の裏側まできて(会社の命令ですが。)なんで堅苦しいやり方を
しなければいけないのか。僕らは堅苦しい日本のやり方をばっさり捨て
去って、自由にそして豪快に仕事をした。それはとても効率的で楽しい
日々であった。

「ラテンから欧州市場に商品が流れているそうだ。本社から注意を
 受けたよ。」
「それで?」
「今後そういうことは一切ないよう厳重に管理しますって答えといた。」
「どうやって管理すんだよ?」
「さあね。」
「ガハハハハ」

ラテンは何でもありなのだ。われわれの手を離れたらディーラーが
何をするかなんて制御しようがない。そういうこともあるのが世界である。
契約書がなくても互いの信頼感で商売する。(失敗することもあるが。)
アミーゴなんである。

さて、Y氏はドバイでかなり偉くなっているらしい。
昔のような無茶はできないかもしれないが、楽しくやっているようだ。
ほどほどに奮闘されたし、アミーゴ!
守谷へ 番外編
守谷報告最終章、番外編も書かねばなるまい。

これまた、元いた会社の後輩そして先輩たちとの宴会です。
後輩のH君がセッティングしてくれました。いつもありがとう。

僕が所属していた経理本部の面々なので、その会話はあまりに
生々しくブログに書けません。私はいいのですが、一応このブログは
公の場。まして私は税理士。迂闊なことは書けないのである。
(だったら記事にするなって?)

サラリーマン社会を飛び出した者とその内部にいる面々との会話は
微妙なズレを保ちながら、過去の記憶の中でシンクロします。
定年退職した人も現役の人と飲むとこういう感じなのだろうか?
ちょっと違う気がする。

僕の置かれている状況はすでに会社員時代とはまったく違っていて
上司もいなければ守ってくれる会社もない。ただ、僕には帰るべき場所は
ある。それは北海道であり、そこで働く中小企業経営者とそのスタッフの
人達である。

僕は自分の場所でやるべきことをやるのみである。
まだまだこれからだ。

 
僕、Sさん、Sさん  Nさん、H君


北海道へ
サラリーマンライフ
気づいておられる方はいないかもしれませんが、僕がこのブログ
にサラリーマンという単語を使ったことはこれまで一度もありません。

常に会社員という名称を使っていました。
日本においてサラリーマンという集団はもはやどこにも存在しない
のではないかと思うからです。

昔を懐かしむわけではありませんが、80年代の頃には確かに
サラリーマンライフがありました。僕のいうサラリーマンライフとは
一言で言えば「制度的な厚み」です。組織の遊び部分といっても
いいかもしれません。

昔は部に一人は宴会部長がいて普段の仕事はさほどでもないのですが
宴会の幹事や盛り上げは一級品という方がいました。会社の旅行会
などもあって和やかな雰囲気でした。
また、今と違って成果主義もはびこっておらず、上司は部下を育てる
余裕というものがあったように思います。新人を育てるのは課全体の
仕事で時間のあるものが教え時に放置し時に叱咤し酒場に連れ出し・・
というような一見不効率なことが平然とおこなわれていたのです。

ところで、成果主義のはやりがひと段落して見えてきたものは、果たして
不効率の極みと思われていたそれらの一連のプロセス群が実は最大の
効率を生みだしていたという事実ではないでしょうか。

結果はプロセスの積み重ねによってしか得られない。そしてそのプロセス
は何人もの組織の人の手に支えられている。縁の下的な働きやあるいは
直接業務にかかわりのない宴会部長の働きも当然プロセスの一要素になって
います。そういうことを冷静に考えてみるならば、当然の帰結と言えます。

右肩上がりの経済は終わった。ゆえに効率化だ!という単純な図式で
完全否定された感のある日本の古き良きサラリーマン組織ですが、僕は
上記のような理由で温存すべきものだったと思うのです。

そのころ上司によく言われた言葉があります。
「きちんと仕事をしていれば見てる人は見ているよ」と。
実は見てくれている「人」が実際にいるわけではないのですね。
そうではなく、きちんとやるべきことをやっていれば、必ず成果
が出るし評価もされますよ、ということだったのです。今思えば。

見てくれる「仕組み」や「人」が現実にいないところでは誰も評価
されない組織に比べ、とても成熟した組織だったなとしみじみ思います。
景気の悪い昨今ですが、せめて組織内部は成熟していきたいものですね。
春の宴
東京話第二弾。

メーカー時代の先輩、同僚と約三年ぶりに再開してきました。
若手から同年代、先輩まで合わせて7人も集まってくれました。
この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました!

このブログにも登場したことのある出張の達人Hさん(あくまで仮名)
もいらっしゃいます。氏は最近タイにも活動範囲を広げているとか。
ぜひ、退職の暁には「出張の達人」という本を出していただきたい
ものです。

この会社の良いところを体現しているようなメンツで本当に気持ちよく
酔うことができました。泥臭く、あくまでも人間的なぶつかり合いの
中から最適解を見出していく仕事の仕方をこれからもずっとDNAとして
持ち続けていただきたいと思います。

僕はそのDNAを受け継いだ者として、在野でこれから頑張っていく
つもりです。しかし、へこたれそうになったら、支えてください。
いや、別に飲んでくれるだけで結構ですから。
えっ、三年に一回くらいにしてくれって?

わかりましたよ、とりあえず、三年は餓死しないよう頑張りますわ。




世界のC社を支える7人の侍と筆者(ノーネクタイ)

クリスマスカード
NYにいる元後輩からクリスマスカードが
届きました。

日本だと年賀状ですが、国際的にはこれなんですかね。
アメリカの四季折々の写真が満載されたカードを
見ていると、かの地の自然の豊饒さを思わずにいられません。
アメリカの自然は素晴らしい、これ、私の実感です。

マイアミではよく釣りに行きましたが、橋からほんの
数メートルのところで大きなスナッパー(鯛)が簡単に
釣れましたし、巨大な獲物がかかって竿ごと持っていかれたり
もしました。(あれはいったい何がかかったのか・・)

まあ、とにかく自然のスケールは圧倒的に日本とは違います。
新しいものがどんどん生まれてくる背景もじつはこんな自然
環境の差がもたらしているのかななんて思ったりします。

そういう意味では北海道ですね。実感としてはここが一番
アメリカに近い。食糧も水も自然も豊富。人間だって変わりなし。
そういやクラーク先生もアメリカ人でした。札幌を計画した
ケプロンもアメリカ人。北海道とアメリカは意外や意外とても
似ている。

出張の思い出
前々回に出張の話を書いたが、実はわたし出張の回数は多い。
どういう訳か内勤部門だったにもかかわらず
いたるところに行っている。

中米やマイアミに赴任していたので、アルゼンチンや
チリにも行ったし、中国にも行っている。国内でも
青森から九州まで訪れている。考えてみればすごい距離だ。
これ、私費で行ったらどんだけの費用がかかるだろう。
会社とは有り難いものだ。

出張の楽しみは当地のおいしい物を食べることと温泉です。
青森では地酒の「田酒(でんしゅ)」が絶品。
大分では関サバ、関アジを肴に芋焼酎、もうたまりません。
うまい酒を飲んで朝風呂(温泉)につかれば仕事も快調という
もんです。

温泉といえば・・・某先輩(H氏としておこう)と行った
青森の温泉は忘れられない。飛行機を降りたとたんにレンタカー
屋に走り、機内誌で読んだ秘湯へ行ってしまうアンタはすごい!
しかも後輩に運転させて。

このH氏(仮名)との珍道中を書けばキリがないのですが
氏の会社での立場を考え今日はこの辺にしておきましょう。